machiruda1984’s blog

特撮ヒーローとかプリキュアとか

ゼンカイジャーとはなんだったのか

〇ゼンカイジャーとはなんだったのか
毎週放送中の「機界戦隊ゼンカイジャー」が終盤戦にさしかかり、俄然面白くなってきた。しかしこの面白さの理由を紐解いてみると、一筋縄では理解できない(普通に見ている、あるいは戦隊ライダーだけを好んで見ているような層では気づきにくい)、日本の児童エンタメを丸ごと飲み込んだような壮大な仕掛けがあることに思い至ったので、ここに書き散らかしていこうと思う。


〇45バーン目のスーパー戦隊
ここでは掻い摘んで紹介すると、機界戦隊ゼンカイジャーは東映特撮スーパー戦隊シリーズの第45作。全ての平行世界を支配しようと企むトジテンドと、全てのスーパー戦隊の力を模倣したセンタイギアを使って戦うゼンカイジャー。そのメンバーのうち4人はトジテンドと同じルーツを持つキカイノイド、例年の若手役者がピタッとしたスーツに変身する方式ではなく、ロボットからロボット(過去戦隊ロボがモチーフ)へと変身する。

トジテンドの尖兵は、トジルギアによって封印された数多の平行世界の力を持つワルド怪人。彼らの能力は近隣の世界のルールそのものに干渉するもので、一見トンチキな作戦が度々SNS上で話題になるほどだった。

世界を股に掛ける世界海賊ゴールドツイカー一家や、トジテンドの幹部を父に持つステイシーらとともに、これを書いてる現在放送中のゼンカイジャーはいよいよ最終決戦へと向かっている(結末はまだわからない)。

45作目の記念戦隊として生み出されたゼンカイジャーに込められたのは前44作の意思だけなのか、考えていくとそこにはもっと壮大な仕掛けが隠されていた。


〇必殺技とは、必ず殺す技である
いきなりこう書くと何が何だか分からないと思う。古くからのスーパー戦隊シリーズにおける定番として、合同バズーカや、ロボの剣技など、いわゆる「必殺技」がある。戦闘の一番の山場、相手にとどめを刺す時の技、ごく一部の強敵を除きこれを出したら文字通り「必ず殺す技」である。だからこそバズーカやロボのオモチャは売れるし、子供は真似したくなる。

この現象は大人向けエンタメでも同じことが言えて、それに該当するのは例えば水戸黄門の印籠だ。印籠を出して決めゼリフを言ったら戦いは終幕である。大きい違いは、印籠自体に攻撃機能がなくて、助さんと格さんはスーパー合体しないことくらいだ。CSM印籠(フルボイス実装)とか出ても誰も喜ばないだろう。

少し話が逸れたが、スーパー戦隊におけるロボとは出せばほぼ勝ちが確定した必勝アイテムであり、主に昭和の戦隊ロボや東映スパイダーマンレオパルドンは概ねそのように描写されていた。後年言われる「ロボ戦がオマケ」というのは、数多のロボットアニメの台頭で巨大ロボは戦闘こそ魅力と考える層から持ち込まれた考えで、それを否定するつもりもないしカッコイイ戦闘描写に定評のある戦隊作品もある。しかしそんな戦隊ロボをモチーフにしながらサイズダウンして、メンバーとして共同生活させようというのだからゼンカイジャーは際立ってヘンな作品なのである。


〇特撮ヒーローは水戸黄門なのか
水戸黄門の詳細はここでは割愛するが話としては概ね、黄門様御一行もしくは街の人達に何か悪者の手が忍び寄り、それを成敗してめでたしめでたしになる話だ。それだけ纏めると確かに特撮ヒーローと大きくは変わらない。

戦隊も仮面ライダーも概ねそんなストーリーラインに乗っていた…のは昔の話だ。特に平成以降の仮面ライダーに顕著だが、人物描写やストーリーが多様化し過ぎて、そんなシンプルなまとめができない作品が増えた。逆に意図的に短編でそういう構図を多用した”お悩み解決系”とでも言うカテゴリーがあるが、仮面ライダー電王のような縦筋をしっかり持った作品や、気がついたら次の物語が始まっていてめでたしめでたしの部分をあまり細かく描写しないなど多岐にわたる。これらもバトル描写に力点を置いた作品作りの功罪だろうし、絶対ダメだとも思わない。

そして戦隊も例に漏れず、黄門様の様式美からはほんの少し離れた作風が長く続いていくのである(ここで言う様式美とは勧善懲悪ということではなく、「守るべき日常と、脅かす者があって、これを排除して、めでたしめでたし」の一連のサイクルを指すので、排除の方法は和解や改心でも構わない)。


〇様式美の継承者は誰なのか
それでは、令和の今の世に水戸黄門の様式美を強く伝え続ける作品はないのかと言えば、主に2つあると思う。

その1つがアンパンマンだ。ここでは詳細割愛するが、上記した一連のサイクルの様式美はまさにアンパンマン+いつもの仲間たちとバイキンマンの構図である。伝家の宝刀アンパンチが言わば印籠であり、殺しこそしないが、これを繰り出せばおおよその事件は解決する。そう考えればアンパンマンはまさに黄門様の継承者だ。

もう1つが、実はプリキュアシリーズだと思う。戦隊ライダーだけ見てプリキュアを見ていない層に向けたプリキュア布教用の駄文はまた改めて書きたいが、ここでは掻い摘んで説明する。プリキュアはおおよそ女児向け戦隊と思われがちだが、ストーリーの構成が大きく異なる。彼女たちの物語の比重は「妖精あるいは異世界人、家族や友達、街の人達との何気ない日常」に強く偏っており、それを脅かす者に対してのみ変身する。またプリキュアで今の戦隊より極端なのが、変身バンク・名乗りバンク・大技バンクを毎回丁寧にやっている…ように見せて逆に言えば新キャラ新武器のタイミング以外ではほとんど使い回しなのだが、彼女たちにとってはこれこそが”いつもの印籠”なので、もう出したら勝ちなのである。とっとと戦闘を終わらせてスポーツの試合に戻らなくちゃとかそういうノリで、敵を排除する部分は驚くほどあっさり終わるし、その後のスポーツの試合が「めでたしめでたし」に該当するのである。プリキュアは戦闘ヒロインの物語であって戦闘ヒロインの物語ではない、少女たちの日常物語なのだ。ある面ではそれがマンネリを招くのだが、毎年工夫を凝らしたテーマや、妖精オモチャと女児との仮想共同生活によって人気が紡がれ、もはや19作目に到達している。平成ライダーで言ったらもうビルドまで来ているのだ。

…とまぁプリキュアの熱い語りは場を改めるとして、様式美の観点で言えば戦隊よりプリキュアの方が顕著に守っていると思う。


〇分岐する様式美
特撮が子供向けか大人向けかという議論やジェンダー論には興味が無いので、ここではあくまで一般論として書く。戦隊やプリキュアの主な視聴ターゲットは幼稚園児くらい、アンパンマンはもう少し低年齢層だろう。水戸黄門の視聴ターゲットはもっともっと遥かに上なのだが、言語もおぼつかない幼児の頃から前述の様式美は日本の子供たちに深く刷り込まれているのである。アンパンマンを見始めた子供たちにはまだほとんど性差は現れていないだろう。しかしその後、アンパンマンのカッコ良さに憧れる男児層が戦隊やライダーに流れ、楽しそうな日常パートの方に興味を持ち始めた女児層がプリキュアに流れる。前者は特に戦闘パートを好むので、戦隊やライダーは前述したように様式美をやや崩した形でもカッコイイヒーロー物として成立していった。その結果として戦隊とプリキュアアンパンマンから分岐進化した存在なのだ。


〇そして生まれるゼンカイジャー
…で、なんでゼンカイジャーを放ったらかしてこんな話をしてたかと言うと、ゼンカイの正体を語るのにここまでのプリキュアの話が絶対に欠かせないからだ。ゼンカイジャーの目指したものとは、”アンパンマンから分岐したプリキュアをもう一度融合したハイブリッドヒーロー”なのである。先述したような性差なんて幼稚園児くらいではまだ大した差はない、であればプリキュアが18年かけて育んできた「日常パート」と、東映特撮が長年培ってきた「戦闘パート」のいいとこ取りをしよう、ということだ。

思えばこの取り組みはもっと前から始まっていた。人外パートナーとエンディングダンスを取り入れたゴーバスターズの頃にはもうわかっていたのだろう。いつかプリキュアの要素を大きく取り込むべき時が来ると。人ならざる者をメインメンバーに内包するジュウオウジャーキュウレンジャー、玩具に声優が命を与え半ばマスコット化したグッドストライカー・ティラミーゴ・キラメイ魔進、そしてそれらをさらにハイブリッドしたのが4人のキカイノイドだ。これらの要素もプリキュアの妖精や異世界人を戦隊に組み込む過程だったと考えられる。

そしてここからは全くの推測だが、その過程の中である疑念が生じる。プリキュアの要素を模倣するだけではダメなんじゃないか、プリキュアの何がそんなに素晴らしいのか、ちゃんと学ぶ必要があるんじゃないか。よし、お前プリキュア1回やって色々学んでこい!…そう、この期間に戦隊数作だけでなくヒーリングっど!プリキュアを経験した、ゼンカイジャーのメインライター香村純子氏だ。ジュウオウジャー辺りで香村氏の片鱗に気づいた上層部が”プリキュアの日常パート”を内包するハイブリッド戦隊を作れるのはこの人しかいないと白羽の矢を立て、スーパーハイブリッド人造脚本家に仕立て上げたのだ。そして先述した”東映特撮の戦闘パート”面は、その道のエキスパート白倉伸一郎氏が固める。なるほど、そう考えると平成ライダーのノウハウすらもハイブリッドする意図があったんだろう。かくしてゼンカイジャーの体勢は整った。


〇トンチキの皮を被ったスーパーハイブリッド戦隊
香村氏の脚本はそのトンチキさでキャッチーな話題を振りまきながら、プリキュア的手法でメインキャラの、そして市民の日常をひたすら積み重ねた。終盤でスーさん(準レギュラー的な市民)が「ゼンカイジャーが守ってくれてるから、このくらいで済んでいる」と言った一言で理解した。あぁ、この人はアンパンマンのカバオ君なんだ。いつも大変な目にあうのに、いつもゼンカイジャーが助けてくれる。その日常を1年近くずっと重ねてきた、単発ゲストではない、ゼンカイジャーの周りの日常なんだ。正直なところ、この「スーさん=カバオ君」の図式が、この駄文を書くきっかけと言っても過言ではない。これは戦隊とプリキュアが融合してアンパンマンに戻った(水戸黄門になった)ことでしか生み出せない奇跡なんじゃないかと思ったのだ。そして物語は最終決戦編に入り、ステイシー周りのエピソードで1つ目の大爆発を起こす。いや、その前からハカイザー決着編やSDワルド回にも現れていただろう。それらの内容はここで語るのは野暮だが、とにかくスーパーハイブリッド戦隊は最後まで楽しみな名作に今のところなっている。

この話もあまり深くはしたくないのだが、この時期のプリキュア融和政策ハイブリッド戦隊が商業的にどうだったかと言うと、苦戦を強いられた。不況や少子化、時間枠移動といったどうしようも無い要素もあるだろうが、やはりプリキュアの妖精と戦隊ロボでは話が違ったのかもしれない。ただこれらの融和政策が総じて「やっぱりなんか違うね」と取られてしまったのだとしたら、それは非常にもったいない。児童の心を繋ぐためになりふり構わず頑張った結晶がゼンカイジャーなのだ。


〇そしてスーパー戦隊
ここまでゼンカイジャーを語ってきて、あえて次のドンブラザーズと、別のある戦隊の話もしておく。次の脚本家は、男性目線で重厚で長大な1年シナリオを書くことに定評のある井上敏樹氏。それを支えるのは、数多の男児向け東映ヒーローを生み出し、女性目線で日常に寄り添うプリキュア方式をも学んだ”スーパーハイブリッド白倉伸一郎”氏だ。そしてそこに、ゼンカイジャーでそこまで押し出さなかった過去戦隊の遺産をガッツリ全乗せしてくる。販売面はまぁ置いといて、作劇面でこの体勢は絶対すごいものになると確信している。今度もトンチキの皮を被るのか、放送始まってみたらそうでもないのか、期待は高まるばかりだ。

井上敏樹氏と言えば、よく言われる「ジェットマンがマンネリを救った」言説、あえてここまでの話を踏まえて異論を唱えたい。これは僕の想像だが、東映デンジマンの段階でこれをこのままやってるだけではダメだと思っていたのだ。だからこそサンバルカンで人数をいじったり、ゴーグルファイブに新体操を取り入れたり、その後も様々な試みをしてきた。色んな外的要因もあって、結果として視聴率が振るわなかった年もある。ファイブマン辺りでピンチに陥ったというのも事実ではあるだろう。しかしスーパー戦隊は、そこまで何年もかけて様々な試行錯誤をして、結果としてジェットマンで大きくハネたのだと思う。ジェットマン自体がとても魅力的な作品だということはもちろんだし、そこを作り出すまでにはやっぱり長年の蓄積があってのものだ。そしてジェットマンの置かれた環境というのは、奇しくもドンブラザーズに似ているのである。

今度のドンブラザーズでスーパーハイブリッド戦隊が大きくハネるのかハネないのかは正直わからない。どれだけ丁寧に積み上げたものでも子供達に伝わらなければ意味が無いのも事実だ。しかし男児特撮も女児アニメも長年見続けてきた身からすれば、この壮大なプロジェクトが上手くいくことを切に願う。