machiruda1984’s blog

特撮ヒーローとかプリキュアとか

続・「復活のコアメダル」がもたらしたもの〜DARK SIDE〜

〇補足と追記ともうひとつの側面

前回のブログで、映画「仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル」について”火野映司の告別式”として作られたという視点から考察し、ひとつの文章にまとめあげた。筆者自身もここで区切りをつけて、満足した…はずだった。

 

それがある事をきっかけに、この映画の違う側面、闇の深淵を垣間見てしまった気がしたのだ。この映画は火野映司の告別式、だから今回の敵は、映司を殺すため、映司の死を愚弄するため、あるいはかつての敵たちが告別式に参加しに来てくれただけだろうと、そのくらいにしか考えていなかった。しかしここから話す仮説が正しいとするなら、古代オーズやゴーダには「オーズ10周年を総括するための明確な命題」が備わっていたのではないかと思ったのだ。

 

そのためこの文章は、前回記事の続きとして書くものなので、そちらを読んでくださっている前提で続ける。

 

 

〇時の王2018

まずこの文を書くに至った最初のきっかけを記す。筆者は前回のブログを書くのと前後して様々な人の感想や考察も読み漁ったのだが、ある時ふとある疑問が頭をよぎった。

 

「みんなそんなにジオウ嫌いなのか?(もしくは、語る必要のない番外編だと思っているのか?)」。そう、どこの感想や考察でも、ジオウの事は全く触れていないのだ。

 

ジオウというのはもちろんご存知「仮面ライダージオウ」のことだ。仮面ライダージオウは20番目の平成ライダーとして誕生し、そこまでの19作品の仮面ライダー達の歴史を継承していく。ということは当然仮面ライダーオーズもその歴史の中に内包されるので、ジオウのオーズ編には火野映司と泉比奈がご本人レジェンドゲストとして登場する(ただしウォッチの影響で本編の歴史や記憶は失われている)。

 

この”ただし”というのがキモであって、本編と繋がらないあくまで番外編という見方をするのが一般的なのだろう。そこを追求したいのではない。しかし筆者は、前回の文をまとめるにあたって仮面ライダージオウのオーズ編を改めて見直してみた。

 

この話は3人の王によるまさに「新たな王s」の話と言っても過言ではない。

・すでに王である(あった)男、火野映司

・王になろうとする男、常磐ソウゴ

・王になってしまった男、檀黎斗

そう、このオーズ編にはもう1人の”レジェンド”が登場するが、それは仮面ライダーオーズではなく「仮面ライダーエグゼイド」に登場した檀黎斗。もとの歴史では仮面ライダーゲンムとして暗躍し続けた男が、アナザーオーズとしてジオウらの前に立ち塞がるのだ。ここもまた話を厄介にする。一見すると、とりあえずゲストをたくさん呼んでワチャワチャさせただけのように見えてしまう。しかし筆者は「アナザーオーズ=檀黎斗」という事実に、妙な納得を得てしまった。というより、アナザーオーズ、いやアナザー火野映司はこの人物しかいないのだ。

 

 

〇GENMマスター2016

檀黎斗は仮面ライダーエグゼイドの世界における重要アイテムであるゲームソフト「ガシャット」を作る会社ゲンムコーポレーションの社長である。番組放送当初は善意の協力者であるかのようなフリをしながら、自身を神と称し裏で好き放題暗躍しついにはメインメンバーの1人を殺めるも、一度は仮面ライダー達の活躍によって消滅する。その後バグスターウイルスとして再びこの世に蘇った檀黎斗は、半ば無理やりながら仮面ライダー達と協力関係を結び、自身の父親であり本作のラスボスとも言える檀正宗を倒すのに貢献する。しかし本編終了後に制作されたVシネマでは再び「真の黒幕」として立ち塞がり、さらにはそこで敗れたあとも短編スピンオフ「仮面ライダーゲンムズ」が作られた。もちろんその間、彼にまつわる公式グッズというのも頻繁に製作されたのである。

 

この檀黎斗の強烈な生き様が、実は仮面ライダーオーズの登場人物の誰よりも、火野映司と対になる部分が多い。

自身に対してあまりに貪欲過ぎる。なりふり構わず生にしがみつき、何度でも蘇る。信頼出来るパートナーや仲間はいない。父の仕事を見て育ちながら、やがて父をも超えるために欲望を燃やす檀黎斗と、我欲を亡くし父と袂を分かつ火野映司。

神を自称するところは泉比奈の言う「都合のいい神様」の皮肉でもあるし、そういえば物語終盤で新ガシャット開発のために九条貴利矢らに「都合よく利用された神」とも取れる。

そして物語本編が終わったのに何度も何度も周り(あるいは他作品にまで)に迷惑をかけ続けている様は、バンダイ東映にとっての「都合のいい神」であり続けているとも言える。今回の映画が完結編と謳っているのも、こうした続編は作らないという意思表示とも取れる。

 

オーズの伊達明のセリフに「医者の仕事はまず自分が死なないことだ。でなきゃ誰も救えない」というものがあり、これに対して映司は「じゃあ俺に医者は無理ですね」と即答している。この辺のキャラ解釈は前のブログとも一致する。

檀黎斗はなりふり構わず生にしがみつく。医者ライダーの作品であるエグゼイドにあって数少ない非医者ライダーなのに、伊達明の言葉を強引に解釈すれば、火野映司より圧倒的に”医者向き”なのだ。

 

これらの要素がなにやら必要以上に火野映司と正反対に描かれており、まぁ”王道的なヒーローから徹底的に外れた人物”を描いたら多かれ少なかれそういうところもあるのだが、実際のところ檀黎斗は仮面ライダーオーズとなんの縁もゆかりもないのにアナザーオーズに選ばれた。他のアナザーライダー同様、とりあえずフレッシュな若手俳優を配置することもできたはずだ。しかしそれをしなかったのは、火野映司も檀黎斗も熱心な視聴者はよく知っていて、彼らがまるで最初から対になっていたかのような納得を得られたからだ。

 

 

〇アナザー火野映司2021

一方で仮面ライダージオウの物語では各平成ライダーの歴史は失われてしまったので、実際のところあの出来事は仮面ライダーオーズ時間軸の話とは繋がらないのだろう。だからこそファンはあえてそっちの話をしないのかもしれない。

 

「では、檀黎斗を仮面ライダーオーズの文脈でリメイクして新しいキャラクターとして生み出すことはできないか?」と実際スタッフが思ったかどうかはわからないが、筆者は今度は新グリードのゴーダと檀黎斗の共通点を探し始めていた。

 

最初は味方のような顔をしてニコニコ近づいてきたゴーダ。主人公と同じ源流の力を持ち、しかしその腹の中ではドス黒い欲望を巡らせている。そして主人公の仲間たちを混乱に陥れ、人間の生死すらも手のひらで弄ぶ。

巨大な敵を前に一度は正義側について勝利に貢献するも、その後本来の欲望をむき出し、人であることを完全に捨てて襲いかかる「真の黒幕」…

 

もちろん先程の考察があるので、火野映司と対照的なキャラ付けをしていったら偶然そこに似てしまったのかもしれない。しかし、もしもしゴーダが檀黎斗なのだとしたら、この映画はそもそも「仮面ライダーオーズのみならず”この10年間の関連作品”全てを総括する」という意味を持っていたのではないか?

この時点でまだあくまで推測の域を出ない与太話ではある。そのため筆者は次の可能性を考えていた。「古代オーズにもそうした隠れモチーフ的なものがあるのではないか?」

 

 

〇キングダム2021

「復活のコアメダル」の世界は古代オーズの復活によって人類が滅亡間近まで追い詰められ、残された人々の一部はレジスタンスとして戦い続けている。なかなかに衝撃的なストーリーだ。ただしそこが漠然とし過ぎていてリアリティがないだとか、滅亡間近にしては夜景が綺麗だとか、そういうツッコミ所は確かにあった。

 

それで筆者は、まぁ火野映司を殺すほどの敵を用意する以上は中途半端な強さでは足りなかったから「とりあえず無茶苦茶な強敵」と設定したのだと最初は思っていた。そこ自体は1つの側面として間違ってないと思う。

 

ある人のTwitterにこうあった。「毎度毎度あの雑な世界設定を押し付けるのは、東映の誰なんだろう?」…ん?ここで筆者の脳内で、今回の世界設定に酷似した別の作品が思い浮かんだ。これは仮面ライダージオウの”オーマジオウの未来”と似ているんだ。

 

ここで仮面ライダージオウの詳しい考察をするのはまた長くなるので避けるが、ざっくりまとめると次のようになる。

仮面ライダージオウ/常磐ソウゴの未来の姿オーマジオウは最低最悪の魔王として2068年の世界を蹂躙し尽くし、レジスタンスとして戦っていたゲイツツクヨミが現代の2018年にやって来ることで物語が始まる。

この冒頭の2068年の描写が、やはり漠然としているが、今回の映画と似ていると思ってしまったのだ。そう考えると、古代オーズとオーマジオウの関係性も少し見えてきた。

 

〇スゴイ!ジダイ!コダイ!1210(推定)

主人公と同じ力を源流に持ちながらより強く、より悪意に染まりきった王。オーマジオウが未来の主人公なら、古代オーズは800年前の王(明確に先祖かどうかは定かではない)。オーマジオウは過去の自分を焚きつけることはしても基本的に殺すことはできないが、古代オーズは例え子孫だとしても火野映司を殺すことに関して何のデメリットもない。

 

なるほど、よく似た部分と正反対の部分が共存しているが、ここまで極端だと各要素が意図的なものに思えてくる。つまり古代オーズとは、オーズ10周年の間に別作品に生まれたキャラクターであるオーマジオウを、仮面ライダーオーズの文脈でリメイクした存在なんじゃないか。だから漠然と荒廃したレジスタンス達の世界設定もうっすら似ているのか。

話としては確かに先述の檀黎斗に通じるものがあり、一定の説得力を持たせる説明をしたつもりではいるが、まだ確証があるわけではない。もう1つくらい何かが欲しいのだ。

 

 

〇復活!英雄の魂!

筆者にはもう1つ、前回のブログを書いてからの心境の変化とでもいうものがある。あまりにも火野映司の死を悲しむファンが多いので、野暮だとは思いつつもしどうしても火野映司を蘇らせたかったらどうするか考えた。平成ジェネレーションズFINALの世界観を踏まえるなら(歴代ライダーは何故助けてくれなかったのかは一旦置いておいて)、まずは大天空寺に相談すべきだろう。歴代ライダーで死の淵から蘇った者は少なからずいるが、一年間通して生と死の物語を愚直に描き続けたのは仮面ライダーゴーストに他ならない。大天空寺に行けば、蘇る方法か、あるいは友の死との向き合い方とかそういうメンタルケアも含めて、何らかの知恵を貸してくれるだろう。

 

…待てよ、仮面ライダーゴースト?ここで筆者の脳細胞がトップギアとなり、いくつかの事象が突然繋がっていく。

”復活のコアメダル”の脚本担当は毛利亘宏氏。仮面ライダーオーズの脚本家である小林靖子氏にその才を見出され、オーズのうち何話かを執筆する形で東映特撮に関わり始めた。その後、作品メイン担当となると宇宙戦隊キュウレンジャーくらいであるものの、いくつものテレビ作品で数々の執筆をこなし、劇場版作品も手がける。ここに仮面ライダーゴーストも含まれる。

 

メインでない作品に関わっているからこそ、メインライターの意図から逸脱しないバランス感覚に優れていて、近年の代表作”スーパーヒーロー戦記”や”仮面ライダー ビヨンド・ジェネレーションズ”といったクロスオーバー作品も得意としている、と筆者は理解している。しかしながら、この10年の間にオーズ関係の役者がゲスト出演した映画には、あまり関わっていないのである。

そしてそうだ、仮面ライダージオウのオーズ回もまた、毛利氏の担当回である。エグゼイドにはほとんど直接絡んでない毛利氏が、ジオウとオーズを介して檀黎斗に絡んでいたのである。これは決して偶然ではない。

 

”復活のコアメダル”は仮面ライダーオーズの10周年であると同時に、時期的に仮面ライダーシリーズ50周年イヤーの締めくくり的な位置づけもあったのだろう。そこに来て毛利氏はオーズの完結編を作るにあたって、小林靖子氏の意思と仮面ライダーゴーストの生死観を受け継ぎ当時は出来なかった「告別式」を執り行い、この10年の仮面ライダーの総括的な意味で檀黎斗とオーマジオウを新たなキャラクターに再定義し直し、渡部秀氏らの協力を得て一本の映画にまとめあげた…

 

 

〇大丈夫、明日はいつだって白紙(ブランク)

筆者の妄想に過ぎないかもしれないが、”たぶんこうだったんじゃないか劇場”としては十分まとまったんじゃないだろうか。まさかエグゼイドとジオウの話を中心にこんな形に結実するとは最初は全く考えていなかったし、一度前回のブログを書いてみたからこそ新たな発見もあった。と言うのも先日、これを書き上げる直前で、もう一度”復活のコアメダル”を見に行ってみた。

 

筆者は前回のブログで「映司はやはり最後は満足しなかったんじゃないか」と締めたが、ここに関しては各自で好きな予想をしていいと思う。そういう余白を残してくれていて、筆者のようなひねくれた解釈も不可能ではない、という域だ。

しかし、熱心なファンが映司の死を嘆き悲しむ点に関しては、最終決戦直前の精神世界での映司とアンクの会話がもう答えを出している。やっぱり、火野映司はあの状況でああする以外になかったし、本人はその点に関して、自身の死に関して思った以上にアッケラカンとしていたのだ。そこに我々が文句を言い続ける意味は無い。

 

今一度あの映画に、いや仮面ライダーオーズに携わった全ての人達に感謝を込めてこう言いたい。

「10年間お疲れ様でした」